うつ病が起こる原因として、これまで様々な仮説が唱えられてきましたが、未だ完全には解明されていません。ただ、うつ病の原因は1つの特定の原因によって起こるのではなく、いくつもの要因が重なることで発症するのではないか考えられています。うつ病が発症する要因の1つとして有力なのが、BDNF仮説です。
BDNF仮説とは
BDNF仮説は神経可塑性(かそせい)仮説とも呼ばれます。BDNF仮説では、脳内のBDNFが減少することがうつ病を発症する原因となるとされています。
BDNF(脳由来神経栄養因子)とは、脳内で神経細胞を保護したり、神経細胞の新生を促進することで、神経と神経とのつながり、つまり神経ネットワークの働きを正常に保つために働く、タンパク質の一種です。
BDNFは、脳内で海馬や大脳皮質と言った部位に分布しており、運動や学習などで、経験、記憶したことを海馬に記憶しておくために重要な役割を担っていると考えられています。
BDNFは神経細胞の新生を促す物質であるため、BDNFが減少すると神経細胞の新生が抑制され、そうした神経細胞から合成される、セロトニンやドーパミンと言った神経伝達物質の合成も抑制されてしまい、神経間のキャッチボールがうまくいかない状態になりやすくなります。
神経間のキャッチボールがうまくいかないと、ドーパミンが減少して運動機能や学習機能に影響が出るだけでなく、セロトニンが減少して感情など精神面にも影響が生じることが考えられます。
うつ病は、主に精神的な症状が前面に現れる疾患ですから、脳内のBDNFの減少によって、精神面への影響を司る、セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなどの神経伝達物質や、それらが合成される各神経系の働きが弱くなってしまうことで、うつ病の症状が現れることが推測されるのです。
BDNF仮説の原型とも言える仮説は、1950年代に提唱され、長らく有力なうつ病の発生原因の仮説だとされてきた、モノアミン仮説です。
モノアミン仮説とは
モノアミン仮説では、うつ病はモノアミン系(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミン)の神経伝達物質が減少することで起こると考えられています。
実際、モノアミン仮説を元に、モノアミン系の物質を増やす働きをするSSRIやSNRIと言った抗うつ薬が開発され、うつ病の症状に対して一定の効果を得てきたことが、モノアミン仮説が広く支持されるようになった背景にあります。
しかし、モノアミン仮説はうつ病の原因を完全に説明するには至らず、抗うつ薬でうつ病の症状に改善が見られない患者さんも一定数いるという矛盾点も孕んだ仮説でもあったため、現在ではモノアミン系が減少することでうつ病が起こるのではなく、何らかの理由でモノアミンが減少することは、うつ病が発症する原因の一つになり得る、というのが一般的です。
神経の可塑性とは
BDNF仮説の神経の「可塑性」とは、「神経細胞」と、神経細胞同士が繋がることで形成される「神経ネットワーク」が、機能的、構造的に変化する性質を持っていることを表す言葉です。
神経ネットワークの変化は、外部からの刺激やストレス、思考、感情の変化、事故による障害、病気など、様々な要因によって起こります。可塑性があることで、例えば、神経細胞はストレスなどによって一時的に減少したり、逆に一度減少しても修復されたり、増加することもあるということになります。
うつ病では、ストレスなどによって、脳の海馬などの神経細胞が減少してしまうことで、様々なうつ病の症状が発症することが推測されます。一方で、うつ病からの回復時には、一度ダメージを受けた海馬などの神経細胞が、可塑性によって増加したり再生することで再構築されることで、症状が改善するのではないかと考えられます。
BDNF仮説では、うつ病の症状の発生にはBDNFの減少によって、セロトニン神経など、モノアミン系の神経細胞が減少して、そこからモノアミン系の分泌も減少することがうつ病の症状を起こしていると考えられています。
実際うつ病患者の血中のBDNFの濃度を測定すると、健康な人に比べてうつ病患者のBDNF濃度は低くなるそうです。
同じようにうつ病の回復にもBDNFの増加が関わっていることが推測でき、BDNFの増減によって起こる神経細胞の減少や新生がうつ病の発生の一因となっている可能性が示されています。
BDNFの減少を防ぐには
BDNF仮説が完全なうつ病の原因ではないにしても、うつ病を発症した人の脳内では、多くの場合、『BDNFの減少』や、それによって起こったと考えられる『モノアミン系の減少』が見られることが事実です。
ということは、BDNFの減少を防ぐことはうつ病の予防にも繋がる可能性があるのではないでしょうか。
ストレスでBDNFは減少する
BDNFが減少する大きな原因と考えられるのが『ストレス』です。
ストレスを受けるとストレスホルモンである『コルチゾール』の分泌量が増加して、脳内のBDNFの働きを抑制して、神経細胞の新生や神経伝達機能の低下が起こります。
また、ストレスによってBDNFそのものも減少していきます。
特に、長期的なストレスで慢性的にBDNFが減少していくと、神経細胞の新生が起こりにくくなり、脳内の神経細胞はどんどん減少していき、脳内の記憶機能を司る海馬などが縮小して、抑うつ症状が起こるのではないかと考えられています。
つまり、ストレスを受けることでBDNFが減少するのであれば、ストレスを受けないようにする、または受けたストレスをうまく解消して、ストレスを溜めないようにすれば、ストレスによるBDNFの減少を防ぐことができ、うつ病の発生なども予防できるのではないかと考えられるのです。
ストレスの解消は運動が有効
手軽で有効なストレスの解消法として広く知られているのが『運動』です。
実は、運動をすると『BDNFを増やす』効果もあることが分かっており、運動はストレスの解消と同時に、ストレスによって減少しやすBDNFを増強する効果も持ち合わせているのです。
うつ病の予防、BDNFの減少を防ぐ方法、ストレスの解消、これらの問題を一気に解消出来る身近な方法は、実は運動なのです。特に、有酸素運動と言われる、ウォーキング、ジョギング、サイクリングなど一定のリズムで比較的長い時間をかけてゆっくり行う運動が、BDNFを増やす運動として有効であるとされています。
また、歩行や呼吸など一定のリズムを刻むいわゆる『リズム運動』は、脳内のセロトニン神経の働きを強める作用もあることから、歩行などリズム運動はBDNFの増強、セロトニン増加の両方に同時に効果が得られるおトクな運動だといえます。
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